1980年代に入ってメーカーの枠を飛び出し、商社機能をもたせインテリアの総合サプライヤーを目指しました。バブル経済突入とほぼ同じ年の1988年に会社の名前をマルニ木工からマルニへ変更します。創業60周年を記念して、社名と共にロゴも現在のものに一新しました。
しかし、総合インテリアサプライヤーへと軸足を移した矢先にバブル経済は崩壊します。1991年にグループ全体で300億円の売上をピークに、売上ダウンに歯止めがかからなくなってしまいます。
年々売上が下がり、ついには会社存続の危機に陥りました。
2001年当時銀行員だった山中さんは、自身の祖父、父、叔父が代表を務めたこの会社に呼び戻されます。それでも売上ダウンのはどめは止まりません。
絶対つぶすわけにはいかなかった?
いやー会社がつぶれるとは思いませんでしたよ。そう簡単に会社はつぶれません。でも整理は必要です。それに会社全体に目標も未来も見えなかった。それで夢がほしいと思いました。そのころ、自分たちはメーカーなのか?商社なのか?とよく言われました。そのことをみんなで一所懸命考えました。
結局答えは、自分たちはメーカーだろうというところにたどり着くのです。それからは、タイや中国にあった工場を閉鎖、国内にあった工場も1ヶ所に集約し、会社の名前も株式会社マルニ木工に戻しました。
モノづくりの原点回帰
次にマルニ木工が取り組んだのはモノづくりの原点回帰です。
その過程で建築家でありプロダクトデザイナーの黒川雅之氏に相談しました。ある日、黒川雅之氏は提案書を山中さんに見せます。その中身は技術と情熱が入った夢いっぱいの提案書でした。
そのとき、その提案書が絵空事に見えませんでしたか?
いや、僕は単純な人間で、その中身がすばらしいものに思えました(笑)。たぶんそのときは夢を欲しがっていたのだと思います。
クラシック家具の需要が落ちているマルニ木工には、モノづくりとは何か、椅子とは何か、原点に戻る必要がありました。そうして出来上がったブランドが「nextmaruni」。初めて外部のデザイナーと組み、今まで西洋家具を作ってきたマルニ木工の製品とは全く違い、日本の美意識を追求した新しいモノづくりの原点となりました。
「nextmaruni」は国内外の12人のデザイナーによる「日本の美意識」をチェアで表現したシリーズです。各デザイナーのコンセプトや意図が明確にあらわれた個性的な12脚のチェアは、まさしく今までのマルニ木工のイメージを変えました。
2005年、「nextmaruni」をミラノサローネで発表。このとき、この世界最大の家具見本市でありデザインイベントにメディアが想像以上にくることにびっくりした山中さんは、やはり世界は違うと感じ、その後3年続けてミラノサローネに「nextmaruni」を出展します。
そのころは新規取引が特別増えたわけではないけれど、このような場所で発信するだけでも大きな意味があることに気づいたそうです。
しかしながら売上ダウンの歯止めがかからず、2006年に株式会社デオデオ(現株式会社エディオン)および地域再生ファンドからの出資のもと、再生に本格的に取り組みます。
マルニ木工 HP
http://www.maruni.com/jp/
(文:KEIKO YANO (矢野 恵子) / 更新日:2013.08.12)