ゴシックの大聖堂を建てた建築家たちは、極限まで高さを追求しました。しかし物理的に高くしようとしただけではありません。大聖堂の内部空間には、視覚的にも高さを強調する特徴的な表現がみられます。
壁面を埋め尽くす垂直線
ここで特に目立つ要素は、支柱に沿って壁面を立ち上がり、天井の尖頭アーチにつながるたくさんの垂直線。まるでつる植物が、上へ上へ光を求めて伸びていく姿のようにも見えます。少しグロテスクな感じです。とにかくステンドグラスに負けないくらい、空間の中で存在感を発揮しています。そのために「平らな壁」がほとんどないように見えるほどです。
この垂直線は石を丸く細長い棒状に削り出すことで作られているのですが、私たちが石造りの建物を見て感じるような重厚さが、ここでは感じられませんね。この画像を見ている今でさえ、私たちの視線は自然に垂直線に沿って天空へと吸い寄せられ、少し気持ちに浮遊感が生まれるのではないでしょうか。
この心理的な作用が、ステンドグラスから降ってくる光とあいまって、場の神々しさを一層引きたてていると思います。
神を目指して
ところでそもそも、建築家たちが様々な技術を開発してまで大聖堂を高くしていったのは、いったいなぜだったのでしょうか。要因のひとつは「隣町のものより豪華にしたい」という競争心でした。しかし、そんな他愛のない感情だけを原動力にして、長い年月を費やし40メートルを超えるような建物を建てることはできないでしょう。
前回お話したように、キリスト教ではこの世の全ては神が創ったとされています。しかしその中で人間は特に神に愛される存在であり、創られたもの全ての中でも上の地位にあるとされていました。このことから、人間は自然環境を支配・管理し、人間の都合で変化させてよいということになるのです。ゴシックの時代においては、この考え方が森林を切り開いて都市を造り、そこに大聖堂を建てる、という行為につながっています。
本題からそれますが、ルネサンス以降の世界の発展を支える、多くの発見や技術開発がヨーロッパでなされたことの背景には、こうしたキリスト教的精神があります。「神に特に愛される存在であるからこそ、人は自然環境を分析・克服し、神の意に背かない範囲で、人間社会の発展のために堂々と利用することが許される」という考え方です(もちろん、今キリスト教徒がみなそう考えているということではありませんが)。
本題に戻ると、中世の人々が自分たちの住む地上の世界を征服し乗り越えて、天上の神にできるだけ近づこうと上へ手を伸ばし続けた結果が、ゴシックの大聖堂の途方もない高さであり、視線の流れを上へ上へと誘導する、内装の石の垂直線なのだといえるでしょう。どのような建物や空間を作るかということは、周囲の環境に対してどのような態度で臨むかということでもあるのです。
ゴシック様式の大聖堂の空間には、中世のキリスト教精神が刻まれていました。そんな昔の考え方は、現代の私たちにはあまり関係がないと思われるかもしれませんね。しかし、西洋の歴史とキリスト教は切っても切れない関係にあり、歴史の中で受け継がれてきたキリスト教の精神は、現在の西洋世界のベースになっています。どんどん世界が狭くなっていく今、それは私たち日本人も知っておいたほうがよいことかもしれません。
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次回からは、20世紀初頭の建築家、アドルフ・ロースという人物に光をあてます。彼の残した「装飾は罪悪である」という過激な(!)言葉から、「飾る」とはどういう行為なのかを少し考えてみたいと思います。
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(文:maki / 更新日:2012.10.05)