前回、柳宗悦が提唱した「民藝」の思想について紹介しました。日本らしい感受性に溢れた、日本にとってのデザインの資源と言ってもよいものだと思います。しかし柳宗悦の死後50年以上が経ち、産業の構造が大きく変化した今、彼の提言をそのまま実践することはもうできません。
「ものづくり」が変質していく
現在、ものづくりの殆どは機械によるものです。
求められるデザインは、基本的に「たくさん売るため」のもの。例外ももちろんありますが、インパクト重視の表面的なデザインが目立つものがまだまだ大半です。
買い替えを促すために、目を引くけれど耐久性が低く飽き易いデザインの製品が大量生産され、消費者はものをどんどん「買わざるを得ない」という気にさせられる、という構造が生み出されています。結果、私たちの身の回りに、あまり大切にしたいとは思えないようなものが溢れることになるのです。
一方、手仕事の品は作る手間がかかり、どうしても機械製品より高価になります。生計を立てにくいことから作り手の数は激減。少数の高い志をもつ職人たちが、必死で現場を支えている状況です。手作りの日用品を、私たちの暮らしのベースに基本形として再度浸透させることは、もう難しいでしょう。それらはあくまで「暮らしに潤いをもたらす趣味の品」という位置にとどまり続けるしかないのかもしれません。
日本の手仕事という文化が存続の危機に陥っている現状は、もちろんよいものではありませんから、今のライフスタイルにふさわしい形でこれを守り、発展させていく努力は必要です。しかしそれだけではシェアが小さすぎて、「わたしたちの暮らしの質を高める」というデザインの至上目的を果たすことはできません。
では、どうすればよいのでしょうか。冒頭でも述べたように、日本には「民藝」という貴重なデザイン資源があります。その「民藝」の思想をこれからのものづくりに活かすことはできないでしょうか。
柳宗理という存在
それを本気で考えたのが、柳宗悦の息子にしてプロダクトデザインの巨人であり、さらに第3代日本民藝館館長も務めた柳宗理(1915~2011、以下「宗理」と表記)です。彼は、保守的な民藝関係者たちによる批判の嵐と闘いながら、民藝と工業デザインの間の見えない壁を取り去ろうとしました。
宗理は、手仕事の分野だけでなく工業デザインの現場にも、民藝の精神が浸透するべきだと考えていたのです。
彼は雑誌「民藝」の連載において、優れたデザインの様々な工業製品を「新しい民藝品」として取り上げています。例えばブラウン社の電卓、野球のボール、卓上テープカッターなど…。それらはどれも簡素で、用途から自然に導き出された美しい形をしています。
手作りでも工業製品でも、美しいものは美しい。
柳宗悦が言う優れた民藝の器は、「美しく作ろう」という作為のない、無心の状態で作られたものでした。
同じように工業製品においても、「美しく、格好よくする」という目的でデザインしてはいけない。「用途から考えれば必然的にその形にならざるを得ない」という本質的な形態を、手を使って何度も試作しながら探していくべきだ。―これが宗理のデザインにおける信念です。
そのように真摯に作られたものは、手作りでも工業製品でもそれぞれに美しく、どちらにも「民藝の精神」が宿っているのです。
「本質を見据えたデザインを」などというスローガンはよく耳にしますが、実務上のいろいろな制限に阻まれ、実践となると難しいのも事実です。
それでも、日本のデザインの質、暮らしの質を高めるためには、まさに宗理のこの信念をもう一度見直し、受け継いでいく必要があるでしょう。
次回からは「日本におけるバロック」についてです。
日本人特有の美意識とは何か…と考えると、簡素、わびさび、といった概念がまず浮かんでくるという人が多いでしょう(筆者もそうです)。しかしそれなら、修学旅行で見たあの日光東照宮の陽明門の猫は、薬師堂の鳴き竜は、どう説明すればよいのでしょうか。
まじめで器用で繊細で…という固定したイメージで語られがちな「日本人」というメンタリティの別の一面について、考えてみたいと思います。
もう一歩深く知るデザインのはなし~日本におけるバロック >>>>>>
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(文:制作 クリエイティブ事業部_PR / 広告-1 / 更新日:2013.02.11)