前回は千利休の師匠、武野紹鷗の茶室について調べました。今回から2回にわたって、いよいよ千利休の茶室について、その光のデザインの革新性に注目してみましょう。
千利休(1522〜1591)は言わずと知れた茶の湯の巨匠。茶道を通じて、日本の美意識の代表のひとつ「わび」の思想を確立した人物です。ここでは彼の代表作のひとつ「待庵」を例に考えます。
余分な光を入れない「にじり口」
まず注目したいのは「にじり口」と呼ばれる、身を屈めなければ出入りできない小さな出入口です。
前回取り上げた紹鷗の茶室の開口部は、北方向に設けた明かり障子だけでした。障子を通った柔らかい光が一方向のみから入ってくるという形では、調整できる明るさの範囲は限られていました。どうしても室内の印象は単調になってしまっていたことでしょう。
待庵南側外観(にじり口が見える)
利休はもっと微妙な光の演出を空間に施したいと考え、そのために土壁に窓を複数開けるという方法を取りました。そしてその演出を充分に活かすためには、他に余計な光が入るのを防ぐ必要がありました。そこで彼は入口の明かり障子をやめて、木製の小さな「にじり口」を設けたのです。これによって、にじり口を閉めれば「窓による光の演出」を最大限に味わうことができるようになりました。
窓による光の演出
では、利休が目論んだ光の演出とはどういうものだったのでしょうか。
彼は、土壁に「下地窓(*1)」を設けました。
この窓は、自由な場所に自由な大きさで設けることができます。そのためまるでスポットライトの当て方を考えるように、複数の窓から入る光の量や方向、それらが重なって作る室内の陰翳などを演出できるようになりました。
さらに利休は、茶室をそれまでの北向きから南向きに変え、窓を使って豊富な自然光を必要なだけ取り入れたのです。
待庵の窓は「配置の妙」
待庵には、庇のある南側(入口側)に連子窓(*2)と下地窓が1つずつ、東側には下地窓が2つあります。下地窓だけでは光の濃淡の印象が強くなりすぎると考え、横に開口の広い連子窓を併用して、光の効果を穏やかに調整しようとしたのかも知れません。
待庵の窓は壁の中で微妙な、中途半端とも言える位置にあります。しかし、利休は室内の床飾りや茶道具、茶を点てる亭主のしぐさ…それら全てがどのように光に照らされるかを総合的に考え、窓の位置と大きさ、形状などを決めていったと思われるのです。
*1 下地窓…土壁の一部を塗り残して、格子状に組んだ竹などの下地を見せた窓。室内側に障子を掛ける。
*2 連子窓…敷居と鴨居を取りつけ、細い角材を縦または横に一定間隔に打ちつけた窓。
待庵東側外観(下地窓が2つ見える)
光を吸収する待庵の壁
待庵の壁は、表面に藁すさを多く見せ、煤で黒っぽく着色した土壁(荒壁と呼ばれる)で、光をあまり反射しません。
にじり口を閉めた室内は、光と影の対比がかなり強い状態になると思われます。利休の光の演出効果が、反射光に邪魔されず最大限に活かされています。
武野紹鴎の茶室の白い和紙貼の壁が、平面的に光を反射して比較的均質な薄暗さを作るのとは、かなり印象が違ってくるでしょう。
次回は、利休が待庵にこめた「侘びの美」の思想とはどんなものだったのか、少し考えてみたいと思います。
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この記事に使用した画像について
モノクロ写真:日本古建築菁華 特別保護建造物全集 (岩井武俊編) より
カラー南側外観:©茶友会○(えん) カラー東側外観:©京都時空旅行
写真を提供して下さった方々へ、この場を借りてお礼申し上げます。
なお、待庵は国宝のため内部撮影は禁じられています。
(文:maki / 更新日:2012.08.12)