【インタビュー】 世界に挑戦し続ける日本企業 「arflex」


「世界に挑戦し続ける日本企業」と題し、これを実行されている日本のインテリア業界メーカートップの方々に、世界に挑戦することの難しさ、それでも挑戦し続ける原動力とは何なのかを、シリーズでお伝えしています。

今回は、日本のインテリア業界にイタリアモダニズムを初めて展開した、株式会社アルフレックスジャパンの代表取締役社長保科卓さんにお話をお聞きしました。

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アルフレックスジャパンの創立者であり現会長の保科正氏が、イタリアに渡り初めてアルフレックスと出会ったのは1967年。その後アルフレックスイタリアで働く事になった保科正氏は、当時の社長ピオ・レジャンニや、アルベルト・ブルツィオの指導の下で物作りの修行を始めました。保科正氏にとってまたとないチャンスでした。そのミラノの工場で工員としてソファを製作するすべての作業を身につけました。

家具デザイナーとして働くのではなく、工場で工員として修業をされたのはなぜかと尋ねると、もともとたいへん器用な人なんですよとおっしゃるのは、アルフレックスジャパンの代表取締役社長であり保科正氏の長男の保科卓さん。当時は日本でもソファのすべてを制作できる職人は少なかったようです。自分で一から制作にかかわることでイタリアモダン家具の真髄を感じとることができたのではないでしょうか。

時は60年代、64年には東京オリンピックが開催され日本中がもう戦後ではないと沸きあがっていた高度経済成長期の時代です。もちろん日本にモダニズムという考え方が浸透する前です。畳の茶の間でくつろぐという家庭がほとんどだった45年前。ソファがあったとしても、置いてあるのは父親の書斎兼応接室。ソファは年に何回か使うだけで、みんながくつろぐ場所には存在しませんでした。そんな時代に「リビングのソファでくつろぐ」というスタイルを定着させたのがアルフレックスジャパン。

多摩美術大学の図案科(今のグラフィックデザイン学科)卒業の保科正氏は、家具作りとはまったく関係ない学生時代を過ごし、社会人になってからも接していませんでした。そんな保科正氏はいつごろから家具づくりに目覚めたのでしょう。


arflex
http://www.arflex.co.jp/

 

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(文:KEIKO YANO (矢野 恵子)  /  更新日:2014.03.23)

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