【インタビュー】 世界に挑戦し続ける日本企業「maruni」マルニ

日本のモノづくりを世界へ発信する~HIROSHIMAができるまで

身を切る思いでたくさんのリストラを行い、規模はピーク時の1/10以下になりましたが、ようやく生き残る目処がつきました。

そう語る山中さんが再度取り組んだことは、マルニ木工が作るべきものは何か原点を探るため、一人のデザイナーとじっくりモノづくりをしたいと思い、工場の木工加工技術を理解し、高く評価してくれた深澤直人氏に、一緒に仕事をしてくれるようにお願いします。

深澤直人さんは、とにかくデザインをわかりやすい言葉で僕たちに教えてくれるんですよ。デザインがなぜ必要か丁寧にひとつひとつ説明してくれました。そのとき組むデザイナーさんはこの人しかいないと思いました。と山中さん。

 

 

深澤直人氏は、日本を代表するプロダクトデザイナーです。 MUJI(良品計画)商品や携帯電話INFOBARをデザインしました。1989年に渡米し現IDEOの前身であるID TWOでトップデザイナーとして活躍していた深澤直人氏は、日本のデザイン界のために役に立ちたいという思いから1996年に帰国。そのとき深澤直人氏を手放すことができないIDEOが、彼のために東京オフィスを設立して代表者にしたのは有名な逸話です。

その後、たくさんの国内外でのデザイン賞を受賞した世界のNaoto Fukasawa Designは、常に注目の的です。
 

もともとマルニ木工には老舗家具メーカーとして、高い木工技術という人財がありました。それは昭和の時代に、「ベルサイユ」シリーズなど装飾性の高い家具をヒットさせた最高の技術(人財)です。

今回のプロジェクトに最初から参加して、深澤直人氏と密にコミュニケーションをとった家具職人たちは、「新しい木のイス、家具を作りたい」という熱い気持ちが一致し、昼夜問わずモデル作りに励みました。

しかし、このデザインは技術的に困難だった箇所も多かったのです。モデルも4、5個は作りました。緩やかな形状を出すには、まるで「線を溶かしていく」ような、慎重な作業が要求されます。

 

 

強度、細部のライン、つなぎ目など確かに技術的な面で難しいところは多かったですが、私は技術者の経験に基づく知識で、必ずできると信じていました。と山中さん。

ですが、いざ出来上がってみると、どのように量産するか新たな課題もでてきました。

マルニ木工の創業者がずっと提唱してきたのが「工芸の工業化」。 工芸的な美しいモノづくりを工業化することが会社のモットーです。それには量産加工は絶対不可欠です。

ここでも、人財の登場です。マルニ木工には職人の技を数値化する職人がおり、機械を使って人の手のように削っていきます。壊れるはずがないと言っていた機械が壊れてしまい、こんなに縦横自在に動かしているところは他に見たことがないと機械メーカーに言われました。そして、最後の仕上げは職人の手仕事。機械がどんなにすぐれていても職人の手仕事にかなうものはありません。機械と職人の手仕事の絶妙なバランスで出来上がった家具がこれです。

出来上がった商品の名はHIROSHIMA

 

 

 


  マルニ木工 HP
  http://www.maruni.com/jp/

 

 

 

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(文:KEIKO YANO (矢野 恵子)  /  更新日:2013.08.12)

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