日光東照宮(以下「東照宮」と表記)は、徳川家康を神として祀るための霊廟(れいびょう)として、茨城県の日光山麓に建てられました(1616年着工、翌年完成)。
徳川政権の安定のためには、自分が天皇にも匹敵するほどの権威を手に入れる必要があるーそう考えた家康は、死の直前、日光に神社を建てそこに自分を神として祀るように遺言しました。それによって、徳川一門に「神の末裔である」という絶対的な権威を与えようとしたのです。
ちなみに建立当初の東照宮は、今より彫刻の数も色の種類も少なく、質素な造りだったとされています。現在の豪華絢爛な姿になったのは、家康を深く尊敬していた3代将軍家光の指示による大改築の時です。
桃山文化と寛永文化
ところで東照宮は、美術史の上では「寛永文化」に位置付けられる建築物です。
織田信長、豊臣秀吉によって天下統一事業が進められた安土桃山時代。
当時、信長や秀吉はもちろんのこと、戦乱を勝ち抜いた新興大名や、戦で富を得た商人などの「これからは自分たちの時代だ」という意欲や自信が、世相に色濃く反映されていました。また南蛮貿易により異文化も流入し、新しい感覚や価値観が社会に入ってきた時代でもありました。
そうした活発な時代の空気が、豪華絢爛で壮大、はつらつとした「桃山文化」を生み出したのです。
そして、桃山文化のダイナミックさや華やかさを色濃く受け継ぎ、発展させるかたちで登場したのが、江戸初期の「寛永文化」です。この時代、権力者の霊を祀る霊廟建築が急速に発展し、霊廟特有の建築様式や美の表現が生まれました。日光東照宮はその集大成にして最高傑作ということができます。
彫刻が伝えるメッセージ
東照宮における「美の表現」で最も注目すべきもの。それはやはり、建物の表面を覆いつくす装飾的な彫刻の数々でしょう。
これらの彫刻の中には、家康の偉大さや徳川幕府の権力の強さ、政治理念などを表現しているものが多くあります。
例えば有名な陽明門の「眠り猫」とその裏に配されたすずめは、「猫が眠っているすぐそばで舞っていても襲われない雀」ということで、徳川幕府によってもたらされる平和な社会を象徴したものです。
麒麟や鳳凰は、聖人君子が世に出た時にだけ現れると伝えられる架空の獣で、偉大な君主(=家康)の象徴。また中国の故事のワンシーンを表現した彫刻もあり、これは家康の政治理念の元となっている儒教の教えがテーマになっています。
おびただしい数の、しかもひとつひとつが驚くほど精巧な彫刻たち。そこには、君主の偉大さとか政治理念、平和への願いといった形のない事柄を、花鳥や動物などの姿形を借りて表したい、表現せずにはいられない、という執念にも似た想いが表れています。
(文:maki / 更新日:2013.06.20)