東照宮のような歴史的な建築物以外にも、豪華絢爛な意匠が強いキャラクターとなっている建物はあります。ここでそのほんの一部を紹介しましょう。
非日常感を演出する装飾
例えば130年以上の歴史を誇り、今もクラシックホテルとして親しまれる箱根の富士屋ホテル。その内部は様々なテイストの装飾やモチーフが無秩序に詰め込まれ、まさに「混沌」という表現がぴったり。それでも全体で見ると妙にまとまっていて、不思議とリラックスした楽しい気分になれる場所です。
もうひとつ例を挙げるなら、目黒にある総合結婚式場の目黒雅叙園でしょうか。映画『千と千尋の神隠し』に出てくる湯屋のモデルにもなっている場所です。園内は当代随一の芸術家たちに泊まり込みで描かせた壁画や天井画、彫刻などで飾られ、その迫力ある装飾美から“昭和の竜宮城”と呼ばれ、親しまれてきました。
いわば「非日常を楽しむため」のこうした施設のデザインは、支配人の好みの世界観が反映された結果で、当然そこに東照宮のような宗教性はありません。しかし彼らがそういう空間を造ったのは、東照宮に通じるような常軌を逸した豪華さ、そこに身を置いた時のお祭りにも似た高揚感を愛し、求めたからこそです。
人には、理性の蓋を外して思い切り自己を解放する、祭りの場のような非日常的空間が必要です。
私たちがゴテゴテしたインテリアに戸惑いながらも、心のどこかで惹かれてしまったりするのは、祭りと同じような「自分を解放させてくれる力」をその空間に感じるからではないでしょうか。彼らはそれを分かっていて、擬似的な「お祭り空間」を創ろうとしたのかもしれません。
いま評価される「かざりの美」
ところで東照宮とよく比較される建物に、桂離宮があります。両者は同時期に建てられていながら、全く対照的な特徴を備えています。
シンプルで洗練された雰囲気の桂離宮が「日本精神を代表する傑作」と讃えられるのに対し、東照宮は「装飾過多で醜く、日本の美意識から外れる」と酷評されてきました。これは、理性的な構造の美を目指し非合理な装飾を排除する、西欧生まれの「モダニズム」の思想に根ざした考え方です。
しかし、今はそうした偏った見方は修正され、東照宮の美も、桂離宮とは全く性質の違うもうひとつの「美のかたち」であるとして、再評価されてきています。
最近では東照宮のような、極端に装飾性が高く、時にけばけばしさやグロテスクさをも含んだ美に対して「かざりの美」という名付けも提唱されています。
石と砂しかない風景を見て、風にそよぐ緑や流れる水の音を想像させる「枯山水」。あるいは暗く粗末な部屋の中に座り、丁寧に茶を点てて飲むという行為に全神経を集中させることで、精神の無限の自由を得ようとする「わび茶」の世界。これらは、日本が世界に誇れる高度に発達した美意識です。これらを理解し楽しむためには、見る側にもそれなりの教養が必要です。
しかし、それとは対極にある、野蛮でエネルギッシュな原色のぶつかりあいと、狂気の一歩手前かと思われるほどの装飾の洪水の世界も、はるか昔から日本人の心に脈々と流れているのです。
「もう一歩深く知るデザインのはなし」は、今回で終了です。
読んで下さった皆様に深くお礼申し上げます。
(文:maki / 更新日:2013.06.20)