目をかっと見開いて、聖域を護っているような唐獅子や龍。艶やかな花や孔雀。とぼけた表情をした中国の古人たち。日光東照宮では、おびただしい数のリアルな装飾彫刻たちが、黄金の輝きや強烈な色遣いとあいまって、不気味な非日常感を醸し出しています。
あのような表現が生まれたのは、東照宮が城などの住宅建築とは異なり、家康を祀るための神社だったからです。
日本の神社では、古くからの民俗行事として「お祭り」が行われ、そこにはたくさんの一般庶民が参加してきました。もちろん東照宮においても例外ではありません。毎年家康の命日である4月17日に行われた「例大祭」(今は5月に開催)には、創建当初から多くの一般民衆が見物に押しかけました。東照宮の建築は、お祭りを通じて民衆に親しまれていたのです。
お祭りとは何か
本題からそれますが、「お祭り」とは何なのか、ここで少し考えてみましょう。「お祭り」の本質のひとつに「人間たちが神と精神的に交流することで、自己を浄化し生きる力を得る」ということが挙げられます。
神との交流とは何でしょうか。それは「いつも護ってくれてありがとうございます」「あなたを崇拝しています」と伝えること、そして「これからもお護り下さい」と祈願することです。そうすることで人々は「自分は神様に守られている存在だ」と自覚し、自己のアイデンティティを再確認して、毎日を晴れやかな気持ちで生きていくことができたのです。
しかし、通常の精神状態で神と交流することはできません。神との交流には「無心になること」が必要です。「理性的な雰囲気のお祭り」というのはまず聞きません。お祭りで人々が踊ったり、かけ声をかけながら神輿を担いだり、我を忘れて騒いだりするのは、そうすることで気分を高揚させ、神と対話できる意識状態に自分を持っていくためです。
祭りの気分を盛り上げる装飾
本題に戻りましょう。少し不気味なほどの非日常感を醸し出している東照宮の装飾彫刻は、まさに「高揚した祭りの気分」を演出しています。そのためにこれらが存在していると言っても言い過ぎではないでしょう。
華やかな意匠で霊廟を飾り立てることは、そこに祀られた神=家康に対して「あなたを崇拝します」という気持ちを示し、自分たちを守ってくれるよう祈願する行為です。同時に、祭りに参加する民衆に華やかで威厳に満ちた彫刻の大群を見せつけることで、彼らの気分を高揚させ「私たちは家康様に守られている存在なのだ」「家康様は神様なのだ」という自覚や信仰心を持たせる、という社会的役割を東照宮は担っていました。
祭りという非日常的な時空間において、神と人が交流する。東照宮はそのための最高の舞台なのです。
日光東照宮は日本のバロックなのか?
ところでこのシリーズを書き始めるにあたって、タイトルを「日本におけるバロック」としました。東照宮がよく「日本のバロック」と形容されるからですが、調べていくと両者の根底に流れる思想に違いがあることが分かってきます。今は、この例えが的確であるとは必ずしも言えないと考えています。
バロック建築の空間には今にもうねうねと動きだしそうな、不安定な緊張感があるのに対し、東照宮の建物自体にそういううねり感はありません。東照宮の装飾彫刻は確かにリアルで生き生きとしていますが、不思議なことに動き出しそうな感じはあまりしません。むしろ生きて動いていたものを一瞬のうちに凝固させて、東照宮という建物の中に永遠に閉じ込めてしまったような感じがあります。これはあくまで筆者の見方ですが、読んで下さっている皆さんはどう見るでしょうか。
それでも、豪華な意匠によって権力者の威信を高めようとする建築であること、そして何よりも過剰なほどの豪華絢爛さは間違いなく共通しています。
東照宮以外にも、「わびさび」の正反対を地でいくような豪華な建物が日本にはまだまだあります。次はその中の一部を紹介し、それらの建築物から見えてくる精神について考えてみたいと思います。
(文:maki / 更新日:2013.06.20)