【インタビュー】 世界に挑戦し続ける日本企業 Vol.4 「ACTUS」

1957年の開始以来シンボルマークの「Gマーク」でグットなデザインを認証するグッドデザイン賞や、六本木にデザインやアートを展開する企業が集まった「アクシス」ビルなどで、デザインによって私たちの暮らしや社会がより良く変わると関心が高まり始めていましたが、高度成長期の日本はまだ、モノは豊富でも安かろう悪かろうの時代で、人々は本物の豊かを実感できていませんでした。

きっとこころを豊かにする消費があるはずと考えながらも、当初高額の家具を販売していた「ヨーロッパ家具・青山さるん」で購入できるのは富裕層だけでした。お金持ちはもともと豊かにくらしているのに大半の一般庶民はさほど豊かな暮らしを送っていないことに気づきます。

 

スウェーデンで創業したIKEAとの出会い

「もっと多くの人にインテリアの楽しみを知ってもらいたい」との志で、デザインが良くてリーズナブルな製品をと探し、出会ったのが当時北欧で急成長していたIKEA(イケア)でした。

 

1943年雑貨店としてスウェーデンで創業したIKEAは1953年最初のショールームをオープン以後、1963年からスウェーデン国外での積極的な展開を開始して、現在はグループ全体で年間約400億ユーロ(5兆円)を売り上げる巨大企業です。そのころからIKEAは顧客のニーズに合わせた組み立て式で家具を販売し、ヨーロッパで絶大な人気を誇るようになっていました。青山の「ヨーロッパ家具・青山さるん」オープンから5年後の1974年にIKEAの販売権を獲得してイケア日本法人を設立。主要都市の百貨店でイケアコーナーの展開を開始します。
 

 

 

ニューファミリーという流行語

1970年代の流行語でニューファミリーという言葉があります。第二次大戦後のベビーブーム期以降に生まれた世代の若い夫婦と子どもたちが構成する家庭のことを言います。友達同士的な夫婦関係、マイホーム志向、ファッションに敏感などの要素を持つものとして、広告や販売でこの言葉は頻繁に使われました。そのニューファミリーに向けて家電、車、住宅と様々な商品が開発され、特に住宅は全国各地にニューファミリー向けの団地やマンションが発売されています。

戦後の復興期を経て経済成長期に入った日本では都市への人口集中が加速し、住宅不足が深刻な問題となっていました。そのため住宅の大量供給を担うため居住水準の向上よりも数の充足が優先されたため、間取りは3DKでも40平方メートル前後と狭い部屋が少なくありませんでした。その後最低居住水準として「住戸専用面積50平方メートル」が定められましたが、1960年代からニュータウン開発が各地で進められ、やっと1970年代になって住宅の高層化や専有面積の拡大も多く見られるようになりました。日本人の住居はウサギ小屋と揶揄されていたのもこの時代です。

1980年代の日本は、ショップスタッフを「ハウスマヌカン」と呼ぶ造語まで生みだしたDCブランドがブームの若者が購買力を伸ばすファッションと違って、家具など高額商品を扱うインテリア製品は、手軽に頻繁に購入できるものではありませんでした。「婚礼家具」という言葉に象徴されるように結婚時に揃えるのが主流で、本人たちに購入する決定権はなく親掛かりのものでした。

そのかわり、若者が好む代官山や広尾などの街に次から次に小さな「雑貨屋さん」が誕生する雑貨ブームが起こっていました。雑誌の編集者やスタイリストが、外国人向けのスーパーや薬局で売られているヨーロッパやアメリカで日用的に使われている雑貨などを、ファッションやインテリア雑誌にスタイリングしたりピックアップしたりして紹介したのがきっかけとなって、ライフスタイルを豊かにする海外のアノニマスな日用品が、おしゃれの感覚で日常化されたのがこの時代です。

今でいう食器も家具も食品も買える「ライフスタイル型のインテリショップ」の登場は、まだ先でこれはバブル経済崩壊後の1990年以降に広がっていきます。

 

 


https://www.actus-interior.com/

 

 

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(文:KEIKO YANO (矢野 恵子)  /  更新日:2021.04.19)

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