【インタビュー】 世界に挑戦し続ける日本企業 Vol.4 「ACTUS」


レンガ造りの製麻工場をリノベーションした「イケアタウン六甲*3

着々と認知と販路を拡大したイケア日本法人は、1981年に日本初の大型ショッピングセンター ららぽーと船橋 に「イケア船橋」を、翌年には「イケアタウン六甲」を出店。小売はもとより卸売も行っていき、それまで婚礼家具を中心に販売していた日本の家具屋をインテリアショップへと変貌させてきました。


特に建物が明治時代に建てられた日本最古のレンガ造りの製麻工場をリノベーションした「イケアタウン六甲*3」はロフト型ショップの先駆けで、今でもその店内を覚えている人は、外国に来たみたいな錯覚に陥る空間でそれまでの日本にはないショップだったといいます。統一された大型のシステム家具、色鮮やかなテキスタイルが張られたチェアやソファに、空間を明るくするカーテンなど、まさにそこはいままで見たことがない空間でした。

*3 残念なことに1995年1月17日の阪神淡路大地震で六甲店のレンガ造りの建物が全壊。このレンガ造りの建物の崩壊を多くの人々が惜しみました。


阪神淡路大地震のニュース記事とイケア六甲タウンの思い出を残す煉瓦
 
 

しかし、イケアは1986年に日本から撤退します。

小さい家具や雑貨はブームにのって売れていきましたが、イケアの家具は購入決定権のある親世代には響かなかったようです。特に北欧家具はサイズが大きくて日本の家屋に合いません。また、当時はまだアジアに工場や物流拠点がないイケアの家具は注文から納品までに時間がかかり、プラザ合意*4前の日本の為替レートは1ドルが360円で、輸入製品のイケアの家具は当時、高額商品の部類でした。

その後 イケアの再上陸まで20年の歳月を要します。

*4 1985年9月22日、先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された、為替レート安定化に関する合意の通称。その名は会議の会場となったアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。

 


バブル経済へと進む日本

1985年プラザ合意以降、円高となった日本はバブル経済へと進んでいきます。

イケア日本株式会社のメンバーは、イケア日本の閉鎖と同時に新会社「アクタス」へと移りました。1984年にショップ「アクタス」として初出店となるアクタス青山インターリビング店、アクタス心斎橋インターリビング店、1985年アクタス福岡店、新宿にインテリアギャラリー・アクタスと主要都市に「アクタス」を次々とオープンさせていきます。


新宿の「インテリアギャラリー・アクタス」は、当時はコントラクト事業部のための約650坪のショールームとしてエレガントな家具や高級雑貨をはじめ巨匠たちの椅子が美術館のように展示されていて、創業当時の「青山さるん」を彷彿とさせる空間でした。


「インテリアギャラリー・アクタス」と呼んでいたオープン当時のアクタス新宿店



なぜに、イケア撤退後でも新店舗を次々とオープンできたかというと、このとき1984年に倒産した株式会社大沢商会のインテリア部門を吸収していました。大沢商会は多くのヨーロッパブランドの販売権もった商社で、インテリア部門ではドイツ・システムキッチンのポーゲンポール、バウハウスのスピリットを受け継ぐドイツのテクタ社などがありました。


ポーゲンポールのシステムキッチンとアクタス心斎橋ショールーム


 


「アクタス バウハウス開校100周年 現在進行形のバウハウスの家具展 」のポスターに掲載のテクタ社の家具


イケアとの提携で培ったマーケティングノウハウと、大沢商会のインテリア部門の吸収によって、アクタスは創業時の意思を引き継ぎながら、ヨーロッパカジュアル、モダン、スカンジナビアという幅広い品揃えをもったことから、他のインテリアショップにはまねのできないショップ展開をする企業となっていきます。
 


「失敗もたくさん経験しました。バブル経済と呼ばれた1980年後半はとにかく高額の製品がよく売れました。それに合わせてシンガポールにデザインセンターを設立、アクタスのフランクフルトオフィスを開設、海外にも工場をつくったり店舗を出店したりします。やりたいことを大らかにやってきたのですが、あまりに早いスピードでの海外展開が負担となり、当時資金繰りはかなり厳しかったと思います。」と休山さん。


 

本格的なインテリアブーム

それでも、この後もインテリア製品は売れ続けていました。1990年に入ると、日本はバブル経済崩壊を経験しますが、一度バブル経済で真の豊かさを知った人々はさらに生活の質を向上させることを目指します。


1994年にザ・コンランショップが日本に初めて上陸。新宿に第1号店をオープン。イギリスのインテリアデザイナー/テレンス・コンラン卿によるすべての生活空間を快適にするためのインテリアアイテムをトータルで扱うホームファニシングショップとしてライフスタイルに変革をもたらすと自負するショップです。本格的なインテリアブームの到来です。80年代もインテリアブームといわれていましたがそのころは雑貨などの日用品が中心でした。

 

 


https://www.actus-interior.com/

 

 

 

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(文:KEIKO YANO (矢野 恵子)  /  更新日:2021.04.19)

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